[May 2007] エントリー一覧
May 31, 2007
テスト問題の問題
(これ、テストに出すような問題?)
ということです。
基礎的な穴埋め問題、応用問題、論述、それらの中に、おや? と思うような問題が混ざっていることがありませんでしたか? 例えば、
「テキストの中で、スティーブが着ていたシャツの色は?」
とか、
「明智光秀は織田信長に何て呼ばれていたでしょう?」
などという類のものです。しかも、間違えれば、結構な失点になるような点数配分であったりするのです。
ひっかけ問題や、授業をちゃんと聞いていたかどうかを問うようなテスト問題の無意味! もっと大事なものがあるでしょう! と嘆いてしまいたくなります。スティーブがシャツを着ていようが裸でいようが、明智光秀が織田信長に、キンカン頭と呼ばれようが、ポンカン頭と呼ばれようが、そんなことはどうでもいいのです。そんな質問をするならば、
「本能寺の変は、その後の日本にどのような影響を与えたと思いますか? あなたなりの意見を書いて下さい」
くらいの問題を出して、生徒が何をどのように理解しているのかをチェックする方が、問題を解く方もやる気が湧くものです。そうでないと、それこそ点数稼ぎのためのテストになってしまいます。
テスト問題が大きな問題になってしまうのには、そもそも授業に問題があるように思います。例えば、授業の合間に突然、
「ところで、昨日の大リーグ見た人いるか? あっ、田中お前も見たか。あのホームランはすごかったよなあ」
などと、授業の内容とまったく無関係な話をし出す先生は、意外と多いものです。それでいて、生徒がその話題で盛り上がり始めると、
「はいはい、お喋りはやめて。授業に集中するぞ」
などと言い出すのですから、生徒は困ってしまいます。
それから、授業の内容に偏りがある場合も困ります。例えば地理の授業で、
「僕はアメリカが大好きでね、ホームステイをしに行ったこともあるんだよ。そこのホームステイ先の子供ってばね、ぐだぐだぐだ……」
と、先生が好きな国のことだけで、一時間すべて使ってしまい、あまり得意でないウクライナとかアンゴラなどは、テキストの文章を読むだけで終わりということもあるものです。何という不平等!
テスト問題の問題は、日頃の授業内容と大きく結びついているようです。
【KNT ROOM】
【ポエトリーリーディング KNT Music】
写真提供【NOION】
May 24, 2007
拝啓シャーロック・ホームズ様
シャーロック・ホームズは、本の中で、推理力・観察力・知識の三つが揃えば、どんな事件の謎も解けると言っています。私は、これは歴史学にも十分通じることだと思うのです。仮説を証拠によって実証する歴史学の一連の流れは、推理小説とよく似ています。
実は、このシャーロック・ホームズについては、歴史学の「叙述」の部分まで似ているのです。「叙述」というのは、実証したことを論文などの文字にまとめる作業のことで、歴史学では、先に述べた仮説、実証の次に、必ず叙述することを大切にするのです。この叙述の作業。シャーロック・ホームズシリーズの中では、何とワトソンが行っているではありませんか! 彼は、ホームズが解決した様々な事件を、叙述してまとめて、人々に公表しているわけです。
拝啓シャーロック・ホームズ様。あなたの推理が、実は歴史学にも貢献しているなんて、知ったら驚きますか。いや、名探偵のあなたのことですから、すでに知っていることかもしれませんね!
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May 21, 2007
楽しいだけじゃダメに決まってるじゃない!
私は思うのですが、特に最近の人は、物事の楽しい部分だけ、自分の都合がいい部分だけを失敬しようとする傾向にあると思います。面倒くさい人間関係をはじめ、諸々の準備、事務処理、手続きに及ぶまで、面倒くさいことは、できるだけ避けようとします。だけど、主張したいことは、ちゃんと主張するのです。すべきことをせずに、したいことをしようとする傾向にあるのです。
もっと問題を広げてみれば、このように言い換えられます。義務を果たさないのに権利を得ようとしていると。権利は平等ではありません。基本的な生きる権利でさえ、私たちは、法律を犯せば取り上げられるのです。そしてそれは、人間の、または社会の最も基本的なルールだと思っています。○○をしたから○○がもらえる。逆に、○○をしなければ○○はもらえないのです。
「いいじゃん、楽しければ」
そんなことを言う人は、従順なふりをして心の奥底では、なめているのだと思います。
「やってみたいな。でも責任は取りたくないから、ちょこっとだけね。そう、そこの一番おいしいところ」
こんな感じでしょうか。それに対し、私ならばこう言うでしょう。
「嫌よ、あげない。果たすべき責任は果たして、協力するところは協力して。そうじゃないと、楽しみなんてあげないから。当たり前でしょう」
と。
May 13, 2007
ポエトリーリーディング&クラシックの音楽会のご案内
【日時】2007年7月29日(日)15:00~(14:30開場)
【場所】クレモニア ホール
(入り口右手の階段を上がって2階です)
〒167-0051 東京都杉並区荻窪5-22-7
【入場料】無料(全席自由)
【チケット等】チケットはございません
こちらの受付フォームから受付をお願い致します。
【交通】JR中央線・地下鉄丸ノ内線・荻窪駅・南口下車徒歩2分
※地図はこちらです
【演奏曲】
ポエトリーリーディング:
『この恋のゆくえ』『朝の犬』『夜を飛ぶ鳥』(きつね子たぬき)など
『小憬異情 その二(室生犀星)』『わたしを束ねないで(新川和江)』『青空に飛び行く(萩原朔太郎)』 など
楽曲演奏:
『Fly with a music』『結婚しないで』(きつね子たぬき)など
『あなたへの愛を捨てることは(ガスパリーニ)』『少年(詩:三好達治/曲:諸井三郎)』『イタリア歌曲メドレー』 など
【出演者】
きつね子たぬき(朗読・ソプラノ)
大谷香里(ピアノ)
片倉幸子(コーラス・フルート・メゾソプラノ)
田子まりえ(ピアノソロ)
藤間加寿子(ピアノ)
嵐柴陽(ピアノソロ)
【問い合わせ】 knt-music@hotmail.co.jp (きつね子たぬき)
http://www7a.biglobe.ne.jp/~knt12-55/41477477/
お茶菓子をご用意してお待ちしています♪
休憩時間や終わった後などにどうぞ 。お喋りをしながら、ごゆっくり音楽会を楽しんでいって下さいね!
May 09, 2007
売れるものより残るものを
何年か経ってしまったら、流行遅れのものを扱うように、「こんなものもあったね」と言われる作品より、読む人は少なくても、図書館の蔵書の中で、何十年も保管されて、時々必要としてくれる人のために、書棚から出てくるような作品を書きたいものです。その作品を知る人は少なくてもいいのです。ただ、時々物好きな人が、探し出して読み耽ってくれれば嬉しいのです。
私は、書くこととは、単なる感情の捌け口ではないと思うのです。この作品のタイトル『マイノリティは寡黙じゃいけない』と矛盾しているような発言ですが、私はこの作品を感情の捌け口として書いているわけではありません。伝えたいことがあって書いているのです。また、書くことは記録することに似ています。自分が伝え残したいことを、自分の言葉で記録するのです。
ところで、平成十八年二月九日の日本経済新聞(夕刊)の中で、細川護熙元総理の記事が紹介されていました。見出しには「閑居暮らし 細川護熙さんに聞く」とあり、「作陶三昧」の日々から思うことが取材されていました。その中で、「いまの人は、少し飛び跳ねすぎているのではないでしょうか。奇をてらい過ぎると、結局、薄っぺらなものにしかならない」という、細川元総理の言葉が紹介されていました。私はこの言葉に深く感動致しました。
私は、注目されることばかりに注目してはいけないと思うのです。伝える方法は人それぞれですが、目立つことばかりが大きなことに繋がるとは思いません。それから、話題になることが、伝え残すべきものになるとも限りません。「奇をてら」うよりも、地道にこつこつと歩んで行く方が、得られるものは大きいと思います。「奇をてら」うことにより得られるものは大きいです。しかし一方で、その代償も大きいと私は思っています。
だから、売れるものより残るものを。「奇をてらい過ぎ」ても、時代が過ぎれば、やがて色褪せていくだけです。
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May 06, 2007
祈り
枯れるまで泣いた後は投げやりな恋歌。
空っぽの情熱を
吹き抜ける風の口笛のように歌った
例えば、
日曜日には動物園に行ったり
ショッピングをしたり
水族館に行ったり。
そんな普通の恋をしたいだけなのに。
祈りは塵となって
目の前を花びらのように愉快に舞った
ほんの小さな幸せの中に
私の汚れを洗い流してくれる平穏を。
ああ、
頬を流れる正常な涙に
振り向いてくれる人は誰もいない
【作品への思い】 普通の恋ができることは、とても幸せなこと。どうか小さな日常に、力強い愛情を感じて生きられますように。そんなふうに、つい祈りたくなってしまいます。 それから、句読点については、句点はそこで内容が切れることを。読点は一呼吸置くことを、特に気をつけて欲しいところにつけて、表現しています。 きつね子たぬき
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May 02, 2007
下積みの美しさ
ところで、私は自信と過信は別物だと思っています。なぜこのようなことを言うかといいますと、「拒絶慣れ」していない人は、自分を過信していることが多いからです。つまり、身の丈を知らないということです。身の丈を知らない自己への信頼は、自信ではなく過信です。そして、この過信とは、とても脆いものなのです。
下積みでは、仕事は頭を下げて頂くものですし、時には、自分がしていることを受け入れてもらえずに、悲しい思いをすることもあります。下積みというと、どうしてもいじめなどを思い浮かべてしまい、抵抗感があるという人もいるかもしれません。しかし、下積みで培った経験や惨めな気持ち、それから小さな喜びなどは、必ず本人の未来を豊かにしてくれるものだと、私は信じております。苦しみを経験して、ハングリー精神で生き残ってきた人たちは、やはり強いです。一味違います。逆境に負けないですし、苦境に立たされた時に、どのように対処すればよいのかを知っています。
下積みで体験する惨めな気持ちは、悪いことではありません。なぜなら、惨めであるということは、自分はまだ理解されていないのだということだからです。ということは、下積みにより、自分の位置を知ることができるのです。自分はまだまだだな、と感じることこそ、思い描いている未来へ到達するための、とても大切な作業なのです。そして、この作業を繰り返すことにより、私たちには、謙虚な気持ちや相手を思いやる気持ちが生まれるのです。
また、下積みを続けることは、文句や言い訳を減らすことに繋がるように思います。やはり人間、己の身の丈を知ると、文句や言い訳が恥ずかしいことなのだと、自然にわかってくるようです。自分の起こした行動が、そのまま反映されるのが、下積み時代。失敗も恥も自分次第。誰も責任をとってくれません。身の丈を超えた行動は、周りを巻き込む可能性や、迷惑をかける可能性が高くなりますし、また、偽りの行動にもなり兼ねません。それこそ、
「できもしないのに、よくも騙したね!」
という結果になり兼ねないのです。だから、慎重に行動するようになります。
下積みは美しい。そう感じるのは、古いでしょうか。しかし私は、どうしてもこの下積みというものに、未来への鍵が隠されているように思えて仕方がないのです。
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