[February 2007] エントリー一覧
February 28, 2007
便利なパソコン、楽する人間

パソコンが普及するようになってから、私たちの生活は、ずいぶん便利になりました。インターネットが広まってからは、趣味を通して、いろんな人と交流を深めることができるようになりましたし、話題のお店や電車の時刻表など、ちょっとした調べものでもすぐに検索できます。年末には、年賀状の印刷も、お店に頼まずに、自分で綺麗に印刷できます。
このように、パソコンはとても便利な機械です。しかし、便利な機械であって、楽をする道具ではないのです。しかも、楽をするという部分で私が指摘したいことは、肉体的な怠惰ではなく、精神的な怠惰の懸念です。
どういうことかと言いますと、第一に、人間は、見えない相手に対しては、強気になれるということです。掲示板やチャットでは、マナーが悪くて閉鎖になってしまったものがたくさんあります。人間関係とは、本来、とても気を使うものです。しかし、パソコンの普及によって、自分の姿が相手に見えないとわかると、視覚の部分で気を使わなくても済むので、精神的な怠けが出てきてしまいました。コミュニケーションさえも、楽をしようとするようになったのです。そうです。便利にではなく、楽をしようとするようになったのです。
人間は、相手を判断するのに、視覚や聴覚から、たくさんの情報を取り入れています。また、自分が相手にどう思われているかどうかも、相手の表情などを読み取って判断しています。そしてその情報は、私たちを不安にもしますし、戸惑いや疑問も与えます。例えば、想いを寄せている人に告白する時、電話やメールだと強気になれるのがそれです。言いづらいことは、直接伝えるよりも、電話やメールの方が、勇気が湧くものです。視覚や聴覚からの情報を削除すると、人間は、思いのほか強くなれるのです。
繰り返しますが、コミュニケーションや人間関係は、本来気を使うものです。しかし、パソコンの普及で、気を使わなくてはいけない部分まで、怠けるようになってしまいました。パソコンは、コミュニケーション手段を「便利」にする機械ではなく、コミュニケーション自体を「楽」しようとする道具になってしまったのです。そこのところを、私たちはよく注意しなくてはならないでしょう。
【KNT ROOM】
【ポエトリーリーディング KNT Music】
写真提供【something】
February 22, 2007
朝の犬
冷たく澄んだ 霧が白く漂う早朝の道に
裏の家のシベリアンハスキーが
主と一緒に散歩をしていた
嬉しそうに 尾を振り
綿のような毛皮の内に 喜びを膨らませて
その小さな前足が弾むのには
理由があった
それは その道に
一台の車も通っていなかったからだ
ようやく太陽が流れ始める
まだ誰も起きていないこの道は
欠伸ばかりして
近頃は私の呼びかけに
ちっとも応えてくれなかった老犬にとって
まさに楽園だったのだ
人間は 心を許した主のみ
車も自転車も走らない
朝の犬は 道のど真ん中を
主の手を引き 足どり軽く歩いていた
【作品への思い】
高校生の頃、テスト勉強のために朝早く起きた私は、
ベランダ越しに、裏の家の犬が道路を歩いているのを見つけました。
早朝の誰もいない道を、我が物顔で嬉しそうに歩く犬の表情が忘れられませんでした。
普段なら、車が邪魔で、塀にぴったり寄り添うような形でしか散歩できません。
犬にとっては早朝という時間は、誰にも邪魔されずに散歩できる嬉しい時間なのだなと思ったのでした。
きつね子たぬき
February 21, 2007
Enjoy job !

フランスに行った時のこと。パリの街の清掃員が、口笛を吹きながら箒を掃いている姿を見て、
(ああ! こういう風景っていいなあ!)
と思ったことがあります。私は、日本で口笛を吹きながら掃除をする清掃員を見たことがありません。その清掃員は、何とも気分よさそうに掃除をしているではありませんか。日本の場合ですと、口笛を吹くことすら、怠けているとみなされるでしょう。
仕事は楽しめなければ嫌なものです。つまらない仕事などしたくありません。このようなことを書くと、
「仕事が楽しいわけないじゃない」
と反論されてしまいそうですね。では、言い方を変えましょう。楽しめるような仕事をしたいものです。
日本人は仕事を楽しむことが下手なようです。トイレに行く時間さえも削り、常に限界を目指し、少しの余裕が生まれれば、そのわずかな隙間に、さらに仕事をぎゅうぎゅうと詰め込む。とにかく、フル回転していなければ気が済まないのです。動いていれば、業績もついて来ると勘違いしている人は、意外と多いもの。だけど実際は、余裕がない分トラブルも増えて、無駄な気疲れと、肉体疲労を蓄積させるだけです。それに、バタバタしている職場というものは、客の立場から見ていても、気分が悪いもの。話しかけづらいですし、私の場合、スタッフ間の口論などを耳にしてしまうと、
(ここは外面がいいんだな)
なんて思ってしまいます。喧嘩されてまで、スピードやサービスを求めちゃいないよ。そんなふうに思ってしまいます。
気持ちに余裕を持って初めて、人は仕事に愛着を持ち、そして楽しむことができるのだと思います。パリの街の清掃員を見て、私は、
(ああ、これが本当に「仕事をする」ということなのだな)
と感じたのでした。
【KNT ROOM】
【ポエトリーリーディング KNT Music】
写真提供【something】
February 14, 2007
厳しさと冷たさ

厳しい先生、冷たい先生。厳しい上司、冷たい上司。厳しい、冷たい、厳しい、冷たい、厳しい……。厳しさと冷たさは違うものですが、この二つを履き違えてしまっている状況は、意外と多くあるようです。
例えば、後輩を叱る時。過ちだけを伝えればいいものを、冷たい態度で突き放している人がいます。この場合、彼は、それを注意の仕方の一つと主張するのです。しかしこれは、冷たさと厳しさを履き違えている典型的な例です。目的は過ちを伝えること。冷たくすることではないのです。それから、遠回しに物を言っていませんか? これも、言われる側としては、嫌なものです。例え言いづらいことでも、本当に相手を思う気持ちがあるならば、しかるべき時に、しかるべき形で、手短に伝えてあげるべきです。
厳しさと冷たさを見分けるコツは、その中に「心の配慮」があるかないかです。本物の厳しさの中には、相手の心(気持ち)を気遣う配慮がちゃんと存在しています。冷たさには後味の悪さがありますが、厳しさには柔らかな苦味が残ります。小さな差かもしれませんが、これは大きな違いです。「冷たく接すること=厳しさを伝えること」ではありません。繰り返しますが、厳しさと冷たさは違うのです。
厳しさには耐えられますが、冷たさには耐えられません。冷たさには何が耐えられないかというと、「心」が耐えられないのです。耐えられなくなった心は、どんどん落ちて行きます。どんどんどんどん落ちて行って、ついには戻れないくらい深く潜ってしまいます。
February 13, 2007
リンク集
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【KNT Mini】:日記(ブログ)です
【Medical KNT~心の病のページ~】:心の病に悩む人の支援ページです
【ポエトリーリーディング KNT Music】:ポエトリーリーディングのページです
【KNT Plus】:エッセイ、歴史、アートなど
写真提供【NOION】:素材をお借りしています
※ リンク集は携帯電話からは見れません。
February 08, 2007
夜を飛ぶ鳥

いつしか 夢見ることを忘れてしまった
明日が来るのが待ち遠しくて
はやる気持ちを抑え切れなかった 夜
あの頃は 未来が無限に広がっていて
走ることが 最大の喜びだった
立ち止まることなど 考えなかったのに
ぽっかり空いた胸の中
やけに綺麗な空の色
剥がれ落ちた夢の跡を
一体いくつ 私は見落としたのだろう
いつまでも
疲れきった毎日を
舌に転がしていてはいけないわ
手を伸ばして 胸の底に眠る実を掬い上げれば
いつだって 夢はまた花開く
ああ 忘れていた感覚を
少しずつ 思い出してきた
くすぶっていた灰を完全には消せずに
時々燃え上がる火花を じっと見つめていた
あの時 諦めの悪い私がいてくれたから
炎は再び燃え上がり
今 この瞬間がある
そうだわ 夢は蘇るんだわ
きっかけを探そう
空の裏に 星の後ろに
ああ 人生はやり直せる
何度でも そう、何度でも
夢を見たい
夢を見たい
どんなに困難な道に生きても
夢を見たい
軽はずみな言葉じゃなくて
風をしっかり掴んだ翼で
私は私の夜を飛び越え
朝日を迎えたい
夢
この言葉にはたくさんの奇跡が詰まっている
人生には必ず
夜明けがあるから
漆黒の闇に負けずに飛び続けて
疲れてしまったら
時々 梢に止まって
そしてまた 飛べばいい
そうだね
人生にはうまく行かない時もある
不安な気持ちを隠せない時も
笑えない時も
泣けない時も
声さえ出ない時も
それでも 飛ぼう
生きている限り 日は昇る
【作品への思い】
足を前に踏み出せなくて、閉じこもっている日々を「夜」に重ねて描いてみました。
この作品は夏のポエトリーリーディングでも発表する予定です。ピアノ曲も2ヶ月くらい前にできて、 今はピアニストさんが練習して下さっていますが、ピアノ曲のみでも聴けるような、音楽に仕上がっています。
私の詩のほとんどは象徴詩。『汚れてしまったあなたへ』などは特にそう。 最近は、もう一度この象徴詩への追求をして、もっと詩歌の勉強をしていきたいなと思っています。
きつね子たぬき
February 07, 2007
意識のブレーキ
「発言の自由」という言葉があります。よく耳にする言葉です。だけどこの言葉。よくよく聞くと、ちょっとおかしい。 というのも、発言には制約があるはずだからです。この制約。簡単に言えば「ブレーキ」のことです。そしてこのブレーキには、
1.無意識のブレーキ
2.意識のブレーキ
以上の二つがあります。
1.の「無意識のブレーキ」。これは、わかりやすく言えばタブーの感覚です。当たり前のように身体に染み込んでいる「言ってはいけない」という直感。では、2.の「意識のブレーキ」とは一体何でしょう? それは、「言わないぞ」という決意のことです。怒った相手や傷ついた相手を見て、
(あっ、しまった!)
と思う瞬間、私たちは後悔をします。後悔をすると、次こそは言わないぞという決意が生まれます。後悔から意識が生まれ、決意からブレーキがかかるのです。これが、「意識のブレーキ」です。また、意識のブレーキとは、本能的にわかるものではなく、失敗や経験によって、後からわかるものです。つまり、後天的で学習性があるのですね。
思うのは自由。でも、発言するのは自由ではないのです。私たちは常に意識のブレーキをかけて、言葉を選んで発言すべきなのです。
February 04, 2007
目を覚ましたら一人きり

私はいつも
群衆の中に孤独を見つけてしまう
おいしい食事も
楽しい会話も
上の空で ひたすら何かに怯える
それから 不安で不安で仕方なくなり
急を装って席を立ち 帰るのだ
目を覚ましたら一人きり
母親を失った子供のように
【作品への思い】
「私はいつも/群衆の中に孤独を見つけてしまう」この一文がこの詩で一番伝えたい気持ちです。一人が好きな気持ちと、その気持ちを説明できない不安な心を描きました。